□問題提起
殺人なんて小説やドラマのなかのことでしかないと思っていた。 人間の生き死にが数字で表示され、それが自分の目に毎日のように 入ってくる。注意書きのあるゲームをやれば、画面のなかでは現実 に当てはめれば惨劇としかいえないような世界が構築されている。 そのくらい、今の世の中で死なんてものを実感することは難しくなっ ている。そして、俺たちは日常的に友人や知人に向かってその言葉を 発している。それはもちろん、軽い気持ちから来るのだが。
要するに、一昔前の大人たちが掲げている『道徳』という言葉に 込めがちな生命の重みとやらはそれだけ感覚的に麻痺している。
だからといって、殺人を犯そうとは微塵も思わない。それはなぜ か。面倒だからだ。犯罪を起こせば社会的な制裁は免れないし、一 生ついてまわる汚名をかぶることになる。そういったものが抑制力 として機能している限り、俺は過ちを起こすことはない。
ただ仮に、法律という絶対条件が意味をなさないとしたら。俺は 殺人を働くのだろうか。それこそ、手当たり次第に。
この場合も、面倒という言葉で片付けられる。殺人をするほどの ことになると、心身ともに膨大なエネルギーを浪費することは自明 の理だからだ。そして俺は、漫画なんかの主人公にありがちな強靭 な肉体と精神を持ってもいない。長距離走ではクラスで中ほどの実 力、中間テストの勉強だって二時間も続ければ根をあげそうになる。 平凡というほかないくらいだ。
そんな俺がいま一度、前述した前提条件を考え直さなくてはなら ない状況下に置かれている。
すなわち、死という感覚について。殺人という行為について。 そして、知らざるは罪なのか。
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