邂逅の果てに トップページ

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†Novel


【鳥籠】


 俺の隣には彼女がいた。
 そして彼女の隣には俺がいる。

 このことはもう自明の理のようにふたりの中で共通項となっていた。この部屋でどちらかが欠けている時間があれば違和感を感じるほどになっていたのだ。
 俺が急用で家を出払っていたとき、ひとりで時間を過ごしていた彼女は「アルデンテのパスタを目前にして、家にソースがないことに気づいたときみたい」と例えたことがあった。
 彼女の好きなものはどうやらラーメンのたぐいではなかったらしい。休み中に三食とも食べ歩きに付き合わせたのは失敗だったと見られる。
 そうやって先週末の出来事について悔やむ俺を、彼女はやんわりと弁護した。

「それはそれでいいの。わたしはどんな食べ物よりいっしょにいる時間が一番おいしいんだから」
「それじゃあ今晩はお前が作るか?」
「それは許可できませんー」

 枕のような大きさを誇る、犬のぬいぐるみを胸に抱えてベッドの上でごろごろと転がりながらそう答えた。抱きかかえられたぬいぐるみの首は締まっており、こちらに哀願するような視線が向けられる。
 寝るときのベッドも最初は一人用だったのをより大きいものに買い換えた。前のベッドでは、朝方降りたとき床下に落ちている彼女を踏みつけた経緯があったからだ。

「この年頃なら花嫁修業とやらをするもんじゃないのか?」
「しないしない。最近のコなんてそんなのお母さんに全部任せるって言ってる。結婚したら頑張るんだってさ」
「結婚したら姑がいるだろ。よく嫌がらせしてくるらしいじゃん。ほら棚の埃を、こう指でふき取って……」

 そういって机の埃を指でぬぐって息で吹くジェスチャーを披露した。
 そんな俺の動きを不思議そうに見ていた彼女は、不意に堪えきれずに吹き出した。

「あはははは! そんなのいつの話? 今のお母さんなんてみんな優しいよ、実の子の方がけなされるんじゃない」
「そうかなぁ」
「うん、ナオは住んでる時代が古すぎ」

 彼女はベッドの上で心底おかしそうに笑い転げている。
 ひとしきり笑い終えたあと、彼女は少し息を整え、頬に手を添えて天井を仰いだ。

「でもそうだねぇ、手作りの料理には興味あるな」
「得意料理は冷や奴と豪語するやつがか」
「失礼な。玉子焼きくらいならお手のものよ」

 手料理というならそれくらいは入り口ほどに捉えてほしいのだが。そこからわかるように台所に立つのは俺の仕事だ。現実は手づくりの弁当を期待するほど優しくないのだとはじめに知らされた。

「でもやっぱ会社から帰った夫に『おかえりなさい、あ・な・た』って出迎えるのはあこがれるかも」

 俺はそれを聞いて思わず吹き出した。

「それこそいつの時代だよ。『お風呂ですか、それともお食事ですか』って言ってくれるのか」
「わたしなら『それとも……わたし?』って付け加えるかな」

 それも定番の文句だが、考えてみれば帰ってきてそんな余裕があるのが不思議なくらいだ。体力が有り余っているなら仕事で使ってこいといわれるのが現代社会なのかもしれない。
 俺が昔の日本男児と現在の恐妻家を比較していると、彼女はベッドの上で身じろぎをした。そちらに思わず目をやると、その目にはいざなうような光をたたえている。

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