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黄昏の交差路<< Novel << TOP

†Novel

†Vil's Side . . .

 ひとりとなった彼はおもむろに酒場のドアを開けた。その仕草にはどこか荒々しさが含まれている。
 店主は突然開いたドアに目を見開き、見覚えのある青年の顔立ちを認めたあと胸をなで下ろすように呼吸をした。

「な、なんだ、兄ちゃんか。びっくりさせるなよな。突然ドアが開いたから夜盗でも押し入ってくるのかと思っちまったじゃねぇか」
「依頼の品だ」

 彼は刃物で切り裂くような口調で短く言い置き、懐の革袋を店主に投げて寄越した。革袋は放物線を描いて軌跡上にあったグラス置き場に差し掛かる直前で店主の手がそれを塞いだ。

「……っと! おい、兄ちゃんしっかり狙えよ!」そう店主は毒づいたあと、革袋の紐を解く。「ふむ、そうだな……依頼した品に間違いないようだ。よくわかったな」

 そう感心すると、店主は空気が裂けるような笑い声を唐突にあげた。その声量に彼は思わず眉根を寄せる。

「はっはっは! まさかきっちりこなしてくると思わなかったぜ! 今どき珍しい傭兵さんだぜまったくよ!」

 店主の大きな笑い声は狭い店内で跳ね返るようにこだまする。彼はその姿から片時も目を離さなかった。
 ひとしきり笑い終えると、店主はテーブルに肘を置いて彼を引き寄せる手振りをした。

「まさか達成してくれると思わなかったからよ、まだカネは用意できてねぇんだ。いや、もちろんカネは払うぜ、約束だからな。せいぜいあのヤブ医者からはぎ取れる分は山分けだ。ほらこっちで酒でも飲んで待ってくれ」

 そういうと、空のグラスに手近の瓶の中身を注ぎ込んだ。グラスが泡立ち、溢れる寸前で傾けられた瓶が引き戻される。だが、彼はその場から一歩も動こうとしない。

「おい、どうした? たしかにこの安酒はまずいが、疲れた身体にはいいだろ? 遠慮すんなって」

 店主は取り繕った笑顔を見せて彼を呼び寄せようとした。じっと店主の姿を観察していた彼は堪えきれなくなったように薄笑いを浮かべた。

「……茶番だな」
「あ、なんだって?」

 瞬間、彼は懐に手を入れ、投擲用のナイフを三重に積まれたグラスに向けて投げる。鋭い勢いをともなったナイフは、店主が視認する前に目標物へと達し、不協和音を出しながら積まれたグラスは瓦解する。その音を合図に店主のテーブルの下から屈強な男達が顔を出し、背後の出入り口を同じようにたくましい男どもが塞いだ。いずれも前日にこの酒場で見かけていた顔ぶれの連中だった。
 彼は周囲を見回す以前に、腰に携えたふたつの短剣を逆手に構える。改めて脳内で人数を数え、店主も含めて八人に前後を塞がれていた。

「……いつから気がついていた」

 店主は本心から不思議そうに目の前で両手に剣を構えた青年に訊ねた。彼は切っ先を店主に向けたまま口の端をゆがめた。

「気がつかない方がおかしいだろう。前日の騒ぎとこの静けさを比べてなにも思わないやつがいたらそいつは大物だ」
「はっ、そりゃあそうだ。そんなやつがいたらたしかに昇進間違いなしだ!」

 店主はおかしそうに机を叩きながら大声で笑った。脇に従えた男たちが獲物を見つけた獣のように舌なめずりをする姿と比べて見ると、これ以上ないくらい不自然な取り合わせだった。

「じゃあお前は罠だとわかっててのこのことこんなところまでやってきたってのか。ははは、そいつも滑稽な話だなぁ!」
「来ない客をずっと待っていると思うとどうにもやり切れなくてな。で、どうするんだ?」

 彼は挑発的な笑みを浮かべて佇んだ。
 店内を静寂が包む。誰かの足音が聞こえるほどに静まりかえった店内で場の空気に耐えられなくなったのか、青年の背後から角材を抱えたひとりの小太りの男が飛び出してくる。周囲は止めようとも協調しようともせずに放っていた。この男をだしに力量を計ろうとする魂胆らしい。
 彼は横殴りに振り回された角材の一撃を身を屈めるようにしてやり過ごし、中腰の体勢を保ったまま男との距離を数瞬で詰める。そこから跳ねるようにして左手の刃を男の腰から右肩にかけて曲線を描くように切り裂いた。いまだ体勢を整えることもできなかった男は叫び声を上げながらもんどり打って床に転がった。
 彼はそのまま切り裂いた男の傷口を勢いよく蹴り、今一度苦しげな叫び声を上げさせて小太りの男を黙らせた。
 辺りには再び沈黙が訪れた。突如その空気を払拭するように店主が数回手を叩き始める。

「……さすがは傭兵だな。なにが起こったのか一瞬目を疑ったぜ」

 だが、と店主は彼の背後にいる男のひとりに合図を送り、それを受けた男が店から立ち退く。十秒ほど経って男は縄で手を結ばれた小柄な少女を従えてやってきた。少女の姿――ココリの顔は泣き顔を堪えるようであり、そしてその顔を青年の姿から必死に遠ざけるようにして少女は立っていた。

「どっから拾ってきたかは知らねぇが、街の広場まで一緒だったよな? これを見ても兄ちゃんはさっきと同じように振る舞えるのかい!?」

 店主はそう叫ぶように言いながら机から黄ばんだ紙を取り出して眼前の青年に突きつけた。

「こいつがお前の手配書だ、『ヴィルヘスト』! さぁ、そのけったいな得物を置いてお縄についたらどうだ!?」

 店主の声は優越感に満ちていた。勝利を確信し、眼前のヴィルヘストと呼称された青年が握っている武器を握り落とす瞬間を今か今かと待ち受けるように。周囲の男達も、切り裂かれた男に目を向けず、店主とともに甲高い笑い声を上げていた。
 その歓声に包まれるようにして、青年は短剣を握りながら口元を抑えてうつむくようにしていた。周囲には聞こえることはなかったが、肩をふるわせて堪えるように笑っていた。

「……フッ、ククク……!」

 あまりにも、あまりにもできすぎて困る。こうも自分が思い描いたとおりに事が運ぶとは思わなかった。怪しい依頼と、出掛けに拾った少女、そしてそれを盾に投降を促される結末、なにからなにまで舞台が整っていた。彼はそれらの陳腐さに声を上げて笑いそうになった。

(そんなに俺が邪魔らしいな。……いいだろう、そろそろあいつの影を追うのも飽きてきたところだ)

 彼は両手に構えた短剣を近くの壁に投げつけた。金属音を響かせて短剣が店の隅に追いやられる。次に、ずっと背負っていた袋包みに入った大剣を、背筋から落とすようにして身体から離した。床に落ちると鈍い音を出して静止した。
 目立つ装備を失った彼は直立不動の体勢でその場を動かなかった。店主は待っていたといわんばかりに声を張り上げて周囲の男達に命令するも、男達はそれより先に群がるようにして彼に掴みかかっていった。

 ひとしきり騒乱が湧き起こり、敵も味方もなく殴り合い続けたあと、思い出したように騒ぎの中心にいた彼は拘束された。身柄を押さえられた彼の姿は、先刻と打って変わった姿で男達に連れられていた。赤く滴った傷口は顔を中心に全体に広がり、その顔自体も打撲で青くにじんでいる。頭部の出血で左目を覆われ、今開かれている目は片方だけだった。足取りはよろめいていたが、それでも気を失ってはいなかった。

 彼が放り出した武器とともに街の治安部隊へと運ばれていく様子を少女は口元を押さえて震えながら眺めていたが、店主の太い腕で視界を遮られ、引き寄せられた。

「嬢ちゃんがあんなものを見ちゃいけねぇ。悪いことは言わねぇ、あの兄ちゃんのことは忘れな」

 振りほどこうともがく少女の腕をつかみながら、店主は哀れむような声をかける。少女は視界を塞がれたままの状態で小さな声で問いかける。

「あのお兄さんは、なにを、したの? 悪いひとだったの? お兄さんは……わたしを、助けてくれたのに……?」

 店主は浴びせられた声に目を泳がせた。そのまま呟くように言葉を絞り出す。

「兄ちゃんは悪いやつだったかもしれねぇ。だがそんなもん関係ねぇんだよ」店主は窓から見える彼の姿を目で追いながら、「他人を食い物にして生き続けるこの国なんざもう終わっちまってるんだよ。同じようにあの連中も、そしてもちろん俺もな」

 そう自嘲気味に店主は吐き捨てた。

 固い力で拘束されたままの少女はやがて諦めたのか、暴れることをやめた。代わりに、ずっと堪えていた涙を流して泣き叫び始めた。その慟哭が失ったものを呼び戻すかのように。

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