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†Vil's Side . . .

 それから彼は幾度か休憩を取りながら歩き続け、その数時間後に目印と指定された巨木が見えてくるのを確認した。
 はじめのうちはこの「木を隠すなら森の中」といわんばかりの指定に戸惑っていたが、実物を前にしてみればその存在は殊のほか印象的であった。見上げてもその高さを推し測ることはできず、彼は今にも押し潰されそうな圧迫感と重量感を感じていた。
 その気持ちは小さな同行者も同じだったようだ。いくら視線を上げようとも頂上が見えないことに少女は感嘆のため息をついていた。

 数刻の間のあと、彼は巨木の幹に向かって歩を進めた。地表からあふれ出てくるような木の根が立ちはだかるように乱立する。跳ぶようにそれらを越えていき、そこで思い出したように背後に目を遣る。
 彼の目線の先には小さな身体を必死に動かして木の根を越えようともがいている少女の姿があった。その様子を見て、彼はため息をついて、視線と手の動きでその場から動くなという合図を送った。少女は彼の意図を理解し、辺りを見回したあと、手頃な大きさの根に腰を預けた。
 彼は合図の意図を理解した時点で少女に注意を払うことをやめ、巨大な幹の周辺を散策しだした。店主からは薬草の特徴を一通り告げられてはいるものの、それらしい姿を見かけることはない。

 薬草というからには草木が固まっている地点があってもいいはずだが、巨木の周辺には荒々しい根ばかりがはびこっているばかりでほかの木々が見当たらない。まるでこの巨木の周りだけが隔絶された雰囲気をまとっているかのようだった。そして彼は薬草の知識など持ち合わせていなかった。今さらながらに依頼内容のあいまいさに呆れがこみあげることになった。
 彼が途方に暮れるように今一度巨木を見上げた瞬間、視界に光が飛び込んでくる。薄暗さに慣れた目を思わず腕で覆った。枝の隙間から日光が降り注いできたらしい。ずいぶんと余計なお世話を焼いてくれる巨木だ、彼はそう心中で恨み言を吐きながら木漏れ日のせいですこし明るくなった周囲を捜索した。

  * * * * * * * * * * * * * * *

 十数分後、彼は要望通りの薬草を革袋に詰めて少女の元へと戻っていた。
 巨木の周辺にはやはり草木が存在する気配はなかった。そこでもうすこし山下の方角に足を下ろし、小さな区画のように寄り集まっている黄色い花々を見つけた。その花は件の薬草ではなかったが、もうひとつの目印として教えられていたものだった。薬草はその花と共生関係にあるようで、その花に寄り添うように依頼の薬草は生えている。そうして手渡された革袋に入るだけの薬草を摘み取って彼はその場をあとにした。

 ようやく目的のものを手に入れた彼が目にしたのは、あどけなさの残る表情を見せて寝息を立てる少女の姿だった。かなりの強行軍を強いてきたせいだろう、太い根に包まれるようにして横たわる姿は深い眠りに落ちていた。
 彼は苦笑を浮かべて目の前の少女を起こそうと思った。しかし、すぐに差し伸べようとした手を引っ込める。そのとき、彼が思っていたのは少女のこれから過ごす時間のことだった。

(……ここまで連れ回した俺にはこいつを近場の街まで送り届ける義務はある。その点は認めるべきだ)だが、と彼は近い将来のことを想像して(こいつを送り届けたところでどうする。この国で新たに子供ひとりを受け入れる酔狂な真似をするやつなど、そうそう見当たらないに違いない)

 彼は長いあいだこの国を渡り歩いてきた。そこで目にしてきたのは、限界まで来ているこの国の疲弊、首都から離れるごとに悪くなる治安の様子だった。そして以前訪れたあの街は国境と首都とのちょうど中間付近になる。華美な表面と薄汚れた裏面がない交ぜとなったあの街の外観は際どいバランスで治安を保っていた。いつその均衡が崩されるとも限らない。
 だからといって、このまま彼の側で連れ回すことはそれ以上の危険を少女に強いることになる。そして今以上の義務を強要されることは彼自身が是とすることはなかった。

 舌打ちを漏らし、彼が少女から目線を外すように向きを変えたとき、枯れ葉を踏み鳴らす音で少女がぼんやりと目を開いた。焦点の定まっていないその目線を眼前の青年に向け、その瞬間慌てて立ち上がってその後ろ姿に付き従った。

(……俺はどうすればいい。それとも……)

 背後から近寄ってくる音を聞き取って、彼は向き直ることもせずにふもとへと歩き始めた。

  * * * * * * * * * * * * * * *

 帰りの山中では重苦しい沈黙がふたりのあいだに流れていた。目的が達せられたのかどうか少女が確認するすべもなく、ただ黙って少女は目の前の青年を追いかける。
 時折休憩を挟むものの、もはや彼の口は固く閉ざされたままであり、少女と視線を交わすことすらなくなった。不安に駆られながらも、少女はほかに拠り所などありもしなかった。ただほのかに残る漠然とした信頼だけが頼りだった。

 下りということもあり、夕暮れ前に彼らは街へ戻ることができた。その間にも彼らのあいだに会話はなく、依頼を受けた酒場へと彼は足を向ける。
 人通りの少なくなった表通りを通り、装飾めいた石畳を見下ろしながら彼は不意に立ち止まった。呼応するように少女もその場で歩みを止める。彼は重い口を開き、街灯を指さして短く言った。

「……ここで待ってろ」

 それだけ言うと彼は来た道を戻り始める。彼が少女に背を向けた瞬間、その小さな口がなにかを告げるように開かれたが、青年が気に留めることはなかった。
 橙色に染め上がっていく広場に、ひとり取り残された少女が寂しそうに突っ立っていた。

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