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†Vil's Side . . .

【名もない日常】


 真っ暗な部屋の中をぼんやり照らす、ロウソクの光。ホールケーキを三人で取り囲み、夫婦は手を叩きながら、ゆらゆらと揺れる炎を必死に吹き消す男の子の姿を微笑みながら応援する。ごく普通でありふれた、誕生日という名の日常の間にある、ちょっとした非日常。
 小さな口でようやく五つの炎を吹き消した子供の姿を両親の喝采と拍手が褒めたたえた。
 良い子にしているご褒美をあげないとな、柔和な笑顔を浮かべながら妻と共に洗面所の方向へと消えていく。その間、男の子は視線の前にそびえ立つ、白くて甘いお城の誘惑にひたすら耐えていた。
 両親たちはなかなか戻ってこない。“良い子”な男の子は誘惑に勝つためにぎゅっと目をつむって両親の帰りを待っていた。
 手持ち無沙汰な男の子はイタズラ心から、洗面所に向かった両親を驚かせてやろう、と思いついた。早速椅子から飛び降り、ちょっぴり高いドアノブを両手でひねる。
 そろり、そろりと開けっ放しのドアを通り抜けたその瞬間、何かに足を滑らせた。強く頭を打った男の子は涙目で頭を押さえる。やけに手がベトベトする。近くに散乱していた鏡で髪の毛を確認すれば、気のせいかいつもより少し黒色が混じった赤色になっている。
 視線を上げれば、近くに立てかけていたのは前から欲しいと思っていたおもちゃ。思わず近寄ってふと洗面所に繋がる風呂場の中を見ると、そこには散らばったガラスと、うつ伏せに倒れた男、浴槽の壁にもたれ掛かった女。なみなみに入れられたお湯をぴちょん、ぴちょん、と音を立てながら女の腕から流れる紅い滴が小さな波紋を広げていく。
 そこには、いつも見た風呂場での日常が『壊れて』いた。

 次の日の夜、親戚の家の部屋の一角で、一人暇を持て余す男の子の姿があった。隣の部屋では、ずっと怒号と叫び声が聞こえている。
 しばらくして、ようやく静かになった。そして、暗くなってきた部屋に白い光が差し込める。そこに一人の初老の女性が立ち、男の子を迎えんとばかりに手を伸ばしてきたが、不思議とためらってしまった。
 結局、無理矢理手を繋がされ、女は外へと向かう。内と外の境目となる扉を開くと、昼の陽気とは打って変わった肌寒い空気が広がっていた。
 その中を女は、長い時間手を繋がせながら歩き続ける。
 辿り着いたのは見慣れない建物が立ち並び、街並みの明かりさえ届かない裏通り。不意にそこで手を離され身体が浮遊感に支配される。背中が地面と激突する瞬間に呼吸が詰まる衝撃、耐え切れずむせ返る。
 辺りを見回せばさっきまでそこに居たはずの女の姿がどこにも見当たらなかった。

 空腹で意識が朦朧とする中、カラスが漁る血肉を目の当たりにし残るものも無い吐しゃ物を撒きながら、彼の目の前に一切れのパンを落とす、一人の身なりの良い黒服の男性が現れる。
パンはすでに土で汚れていた。しかし、死の淵をさまよう子供にそれがいかほどの宝石にも等しい価値を見出したか。
 男性は子供がパンを食べ終えるまでその場に居座り、やがてゆっくりと大通りに向かい歩き出す。
他に行くあても、明日を生きる自信も無い、空腹の子供はその男性にすがるような気持ちで後を追うのだった。

 大通りからまた裏道へ、長い道程を経てたどり着いたのは何の個性も工夫も感じられない、ただただ大きく広い、建物の前だった。
 不気味さを肌に感じながら、建物の扉を開けると、ゆっくりと扉は閉じ、ガシャンと錠の落ちる音が反響した。
 そこは、暗殺を生業とする闇に隠れた社の、行くあてのない子供を殺すための道具に仕立て上げるための実験場であり、収容所だった。

 耐え抜かねば食事にありつけない。
 地獄のような修練を幾度も幾度も繰り返し、また一人、また一人、子供たちが消えていく。
 友と呼べる存在を、発狂しながら懇願するその願いを叶え、手を真紅に染め上げる。
 同胞と思ってきた相手を、食という欲求の正当化でねじ伏せ。
 いつしか、周りには物の数も居なくなっていた。

 もはや彼の感情は欠落し、心は凍てついていた。

 そして彼は、ある日暗殺対象となった不思議な雰囲気を醸し出す男に出会う。
 不意打ちを読まれ、必死の一振りは軽くいなされ、屈辱感に身を焼かれながら首筋に大剣を突きつけられた彼に、面白そうだ、そう軽く言われ一緒に来る事を誘われる。
 任務に失敗し帰る場所も無くなった彼は(だが未だ首筋には冷たい物が触れていた為脅迫に近い)ついていくことになった。その男から我流で身につけた二刀の他に、大剣の扱い方を教わった。
 男によるこれまで味わったことの無い人と人とが交わる温かなふれあい。彼の凍てついた心が日を増すにつれて氷解していった。ぎこちなく微笑むことも出来るようになっていった。

 ……だが、そんな日々は長くは続かない。男は再び来訪した凶刃により、倒れることになる。
 冷え行く温もり、荒廃する信頼。拾い上げた手の中から共に過ごした時間と命の煌めきが流れていく。
 それはいつしか染め上がった手のひらと同じ、紅く、紅い水溜まり。
 またもや独りとなった彼の感情を再び封じ込むには十分な材料となり得たのだった。

 その日から彼は己が存在を呪い、否定し、本質を閉じ込める。

 彼は自身を信じることすら良しとしない、信頼に値するモノを見つけられない、自分の力を卑下し続ける。
 何もかもを血塗られた瞳、月光の様な瞳、二つの相貌で眺め続ける。

 人に対しての関心は限りないほど薄く、 群れ合う事を何より嫌う。
 それは生きとし生けるもの全ての存在に対し、生死とは等しく訪れるものであり、目の前(身近)の存在を失うことに対しひどく恐怖を感じるきらいがあり、
 それと同時に矛盾ににも似た自身の死に対する諦観が染みついているためである。
 ゆえに、絶対的な感情として『諦め』があり、それに基づいて物事を判断するため大抵の日常を些事として断定する。
 人間関係を始めとするある種の欠落はこうしてできあがった。

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