邂逅の果てに トップページ

黄昏の交差路<< Novel << TOP

†Novel

†Meria's Side . . .

 任務から帰ってきた翌日、シュメリアは施設の資料室で本を開いていた。興味心でほかの絶対者たちのことを調べてみようと思い立ったからだった。
 昨日のアルフレイドの話を聞いて、身近にいるひとのことでも知らないままだったことが多いのに気がついたからだった。
 そんな思いを抱きながら見つけたのが、歴代の絶対者たちのことが記されている書物だった。

(絶対者《アブソリューター》という制度の導入、背後の歴史、そしてその人物たちの能力――。発刊はかなり前だけど、この本の改訂版が出されたら、わたしもここに載るのかな……?)

 そう思うと少々気恥ずかしい。シュメリアは、発刊当時までの絶対者の一覧表を見ながらそう感じた。

 歴代の絶対者の名前のなかには知っている顔も数に入っていた。しかし、それよりもあとに抜擢されたもののほとんどが、戦争や暗殺などで殉職していた。

(わたしもいつかは、こういうふうに書かれることになるのかな……)

 書物に描かれた自分の起こりえる行く末を想像すると、複雑な思いを浮かべざるを得なかった。こういうときに思い知らされるのが、魔法の一番の利用先が軍事関係なのだということだった。

(あれ……?)

 シュメリアは書物を見ていて、ふと気がついたことがあった。人物の紹介欄のところで最初にはじまっているのが二代目からなのだ。一覧表を見てみると、やはり、一番最初、初代の絶対者の欄が黒く塗りつぶされている。

(どういうこと?)

 不可解に思いながらも、シュメリアは調べ物を続けた。

* * * * * * * * * * * * * * *

 磨き上げられた床面は鏡のように輝いており、長く延びた廊下には靴音が単調に響き渡る。廊下には通る以外の用途は必要ない、そんな声すら聞こえてきそうなほど、置物のたぐいはなにも設置されておらず、丹念に手が入れられているだけに、清潔というよりももの寂しい。あったのは、思い出したように点在する扉くらいだった。

 アルフレイドは、そのなかでも廊下の最も奥の部屋へと続く扉の前に立った。木造だが、それなりに紋様や装飾がなされている。両開きの扉の左側の取っ手をつかみ、きしんだ音を立てて扉がゆっくりと開く。ノックの音は聞こえなかった。
 内装は執務室のような外観を持つ部屋だった。周囲には丈の高い本棚が並び、それに囲まれるように長机が置かれている。
 そこに座っていた五十半ばにもなる男性は、老いを感じさせない気力に満ちた雰囲気を醸し出しており、紙面を見る目つきは鋭く輝いていた。

 彼こそ、施設の最高責任者であるクリフォード・シュトラムそのひとだった。
 扉の開く音に気がついたクリフォードは、そのにらむような眼差しを無遠慮な訪問者に注いだが、視線のその人物に気がつくと、その表情をいくらかほころばせた。

「アルフレイド、ノックはしろ、といつもいっているだろう」
「誰かがいるときはちゃんとしますとも。しかし、今はおひとりでしょう」

 クリフォードも本気で諭しているわけでもなく、語らいの糸口として使ったに過ぎないようだった。アルフレイドもそれを知ってか、一介の権力者を相手に口調を緩めている。

「相変わらずの減らず口だな。誰かに聞かれたらなんといわれるだろうな」
「ははは、ご心配なく。すでに黙殺されるような視線を浴びました」
「すこしはそういったものたちにも気を配ってほしいのだが。まぁ、いい。それで、どうした?」
「ご報告に参りました」

 その言葉に、クリフォードの眉がすこしつり上がる。

「そうか、あの件か。ご苦労だったな」

 クリフォードは席を立ち、アルフレイドに歩み寄った。ふたりは向き合う形になる。

「聞こう」
「はい。先日の任務は、『絶対歌姫《アブソリュート・シンガー》』とともに農村での魔物討伐に当たる、というものでした」
「そうだ、そしてお前の『絶対歌姫』に対して抱いた意見を聞きたかった」

 クリフォードは低く落ち着いた声音で話す。

「そのまえに、僭越ながらお尋ねしたいことがございます」
「なんだ?」

 クリフォードは怪訝な表情を見せた。

「それは『絶対歌姫』としての能力のことなのか、はたまた、『シュメリア・イゼルカ・ルーセ』個人としてのものなのか、どちらなのでしょう」
「両方だ」

 クリフォードは間髪入れずにいった。その表情には、幼い少年のような屈託のない笑みが浮かんでいる。
 アルフレイドはその答えを聞いて、「了解いたしました」と前置きをして話を続けた。

「魔道使としての『絶対歌姫』の能力はかなり高いでしょう。戦況における状況判断も的確です。このあたりは日頃の鍛錬によるものが大きいと思われます」

 アルフレイドは、他の『絶対者』の面々に稽古をつけられる少女の姿を脳裏に浮かべ、思わず口元を緩めた。しかしすぐに真剣な面持ちを取り戻した。

「ですが、『シュメリア』本人には、まだ詰めの甘さや経験が不足している箇所が見受けられます。この点は年齢相応といってしまえばそれまでですが」
「そうか」

 クリフォードはアルフレイドに背中を見せるように向き直った。

「……いや、それでいいのかもしれんな」

 その声にはかみ殺したような笑い声が含まれていた。

「施設長?」

 アルフレイドは予想と違うクリフォードの反応に疑問符を浮かべた。
 クリフォードは握った手で口元を隠して咳払いをした。そして、一呼吸置くようにしてからアルフレイドに尋ねた。

「アルフレイド、私は正しいと思うか?」
「はい?」

 唐突な質問の意図がつかめず、アルフレイドはクリフォードの表情を見遣る。クリフォードは周囲をゆっくりと歩きながら語り出した。

「私は三十年前『絶対者』という制度を提唱した。そのころはもちろん、私も施設長という役職には就いていなかったがね」
「…………」

 アルフレイドは黙って耳を傾けた。

「『絶対者』という制度、それは卓越した才知とそれに見合う努力を重ねたものに送られる名誉だった。当時は一介の被験者風情にそこまでの権力を与えていいのか、という批判もあったが、実際に抜擢された人物が有事で活躍したり、今まで埋もれていた才覚を発掘できる機会になったりと、おおむねそれは上手く機能した」
「それについては感謝しております。あなたがいなければ私はここにいられなかったでしょう」
「そうだな」クリフォードはアルフレイドの言葉にうなずきを返した。

「だが、その制度も時が過ぎると、ただ単に地位を欲するものたちがのさばり、当初の慄然とした空気は徐々に消え去っていった。そして、前施設長からその座を引き継いだ私も、理想と現実の差に空疎な気持ちを覚えた」
「革命と呼ばれる制度も、時が経てばそれは形骸化していきます。時間と革命は水と油のようなものです。湯になってしまえば混じり合ってしまう」
「まさしくそのとおりだな」

 クリフォードはアルフレイドの言葉に、自嘲するように笑った。

「それでも、上に立つものの宿命として、つねに厳格に『絶対者』を選抜した。だが、優秀で勇敢な彼らを軍事に送り出したあとに返ってきたのは戦火で命を落としたという訃報ばかり。私はいつしか、自分の間違いを認めたくないがために、より能力の高いものを求めるようになった」
「そこにやってきたのがシュメリア、いや、『絶対歌姫』だと?」

 アルフレイドは伏せていた顔を上げ、口を挟んだ。

「そうだ、より能力の高いもの、『彼女』はまさに逸材だった。まだ幼い身ながら、その能力には目を見張ったものだ。だが……」クリフォードは歩みを止め、振り仰ぐように天井に顔を向けて目を閉じた。「授与式のとき、壇上で顔を伏せて任命状を受け取る彼女の姿を見て思ったのだよ。私はこの少女にどんな重荷を背負わせるつもりなのか、と」
「それが私に対してのご質問だと?」

 クリフォードは無言で深くうなずいた。アルフレイドはうつむき、考える素振りを見せ、やがてこういった。

「あなたの判断が誤っていたとはいいません。私も助けられた身です。ですから、これからあなたがどう進むのか、冷厳な主導者としての立場を取るべきか、人道的な道に落ち着くのか……」

 アルフレイドは目線を上げて、クリフォードと視線をあわせた。

「私は人間的な判断を尊重すべきだと思います」
「人間的、だと?」

 クリフォードは疑念の声を発した。

「それは倫理的な立場に立てということか」
「いいえ」アルフレイドは首を振って、「あくまで『人間的』であるべきだというだけです」
「なるほど、人間的か、フ、ハハハ!」

 堪えきれぬようにクリフォードは額に手を当て、声に出して笑った。ひとしきり笑い声をあげたあと、クリフォードはアルフレイドに向き直った。

「人間的、あまりに人間的!」そう声に出しながらアルフレイドに歩み寄った。「良い意見を授けてくれた。感謝する」

 アルフレイドは小さく首を振った。

「いいえ、とんでもない。それで、『絶対歌姫』の件はどうなさるおつもりで?」

 クリフォードは顎に手をやり、やがてアルフレイドを見ていった。

「君に任せよう」
「……今、なんと?」

 アルフレイドは目を丸くした。

「人間的と謳うのならば、私はより適任であろう、君に事の成り行きを見届けてもらおうと思う。それが、私の『人間的』な答えだよ」

* * * * * * * * * * * * * * *

 アルフレイドはそれから二、三言クリフォードと言葉を交わし、出かける用事があると言い置いたあと、クリフォードは執務室から出ていった。

 ひとり残されたアルフレイドは、部屋の中央に備えられた座席、先ほどまでクリフォードが使っていた椅子に座った。そのまま、背もたれにもたれかかって、天井を振り仰ぎながら大きくため息をついた。

「さて、どうしようかなぁ……」

 悩ましげな言葉とは裏腹に、その表情はどこか楽しげであった。

inserted by FC2 system