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黄昏の交差路<< Novel << TOP

†Novel

†Vil's Side . . .

 果てしない荒野はうら寂しいが、ある種の芸術とも呼べるようだ。
 何もないことが美点なのだろう、ともすれば究極の美とは何も残らぬことなのかもしれない。
 目的地はこの方向に半日も歩けば着くと聞いた。が、目印になるものなどどこにも見当たらない。情報の真偽は目的地に着くことではじめてわかるのだった。正当性は滞在していた街の治安と比例をすることも多い。もっとも、この国に至ってはどこも似たような状況ではあった。

 彼はあてどもなく彷徨うことを何年も続けている。月日など感じることもなく流れるままに過ごし、毎日の意味など考えることもなく。
 そこに宿っていたのは虚無感だった。なにかを求めることも、なにかを得ることもしない。荒野に吹いていく砂風のように、歩みを止めずに通り抜けていく。
 この生活に果たして意味などあるのだろうか。だが、有意味というものを考えること自体が意味のないことでもある。そして、なによりも彼は気力――原動力と呼べるものを失っていた。
 それでも自らの生命を放り出すことはしていなかった。しかし好きこのんで生きているふうにも見えず、取り憑かれたように放浪を続けていただけであった。

 身の丈ほどもある大剣を背負いながら荒野を彷徨う有様は、まるで死の影を背負い、棺桶を引きずっているようにも見えた。それが故人のものであるのか、先々に訪れる自らのものであるのかは誰にも判然としていない。

  * * * * * * * * * * * * * * *

 道中で何度か方向を練り直して、彼はようやく目的の街へとたどり着いた。物資の恵まれないこの国では珍しい、幾分か発達した街だった。通りは整えられ、道行く人々の服装も千差万別で他の地方とも交易が盛んと見られる。
 そんな明るい町並みも単なる側面に過ぎない。街の発展と治安は結びついてはいないのだ。この街もまた、賑やかな界隈に毒牙を忍ばせている。

 彼は人通りが少なくなったときを見計らい、商店の隙間に生じた裏路地に身を潜めた。丈の高い建物に隠れるように存在する路地には、ぼろ布をまとった老人や、やせ細り動く気力を失った子供の姿が見える。しかし、表通りを過ぎ去る人々はそれらを目に留めることはしない。
 表の通りを歩くことは上流階級であることのアプローチとなり、ステイタスとなる。そして、過ぎ去る人々の身なりに目線を追いながら自分の地位を判断するのだ。隅でうずくまる姿など目にも留めない。路肩の石にわざわざ注意を払う者などいるだろうか。

 この国では欺瞞と欲望に満たされている。そして、それを誰も気にすることはない。変えようとする気力すら失ってしまったのがこの国であったのだ。国家自体も疲弊してくたびれきっているが、同じように人々も疲れ果てていた。

  * * * * * * * * * * * * * * *

 そんな国の疲弊具合を垣間見つつ、彼は裏路地を通り抜け、酒場に来ていた。安酒を飲み、ただ喧噪に支配された店内。時折言い争う声も聞こえてくる。彼はその様子に関心を寄せずカウンターの隅でグラスを傾けていた。

「兄ちゃん、見ない顔だな」

 カウンターの中央でグラスを拭いていた店主が彼に声をかける。見るからにたくましい体つきで、左腕には大きな切り傷も見られる。このような場では、諍《いさか》いのひとつやふたつ日常なのだ。

「兄ちゃんみたいな優男がこんな場に来ちゃいけねぇよ。悪いこたぁいわねぇから早いとこ帰んな」
「そうだ、ママのミルクでも飲んで寝んねしてな!」

 どこかから野次が飛び、それに呼応するように、店内に大きな笑い声がこだまする。彼はそんな周囲の様子に反応することもなく、目を閉じながら琥珀色の液体を喉に流し入れる。
 店の中央に目を遣っていた店主が再び彼の元へと視線を戻すと、彼の傍らに置いていた長い袋包みに気がついた様子を見せた。
 包みは実に人の背丈ほどあり、目の前にいた青年とのイメージからはかけ離れている。

「なぁ、そこのでっかい荷物は兄ちゃんのかい?」

 そう店主が問うと、彼はわずかにうなずいた。

「形からして、ありゃ武器か何かだろ? 兄ちゃん、傭兵かなんかかい?」
「そんなところだ」

 わずかの間の後、彼は初めて口を開いた。

「このご時世じゃ雇い主もみつからねぇだろ? 戦争をするのにも金がいるんだ。この国でそんな真似ができる連中はそうはいねぇよ」

 酒屋の店主のいうことは最もだった。

 この国――テリクスは表向きは軍力を盾に幅を利かせてはいるが、内実的には治安は悪く、土地はやせ衰えて民衆の不満はつのっている。

(あるいは、諦めているのか――)

 日々の糧を得ることだけしか考えられぬなら、抗う姿勢も見られないのは当然の帰結だろう。この酒場もそんな場所のひとつだった。職にありつけず、寄り辺のない男たちが、引き寄せられるようにこの場に集まってくる。こんな目に遭っているのは自分たちだけのはずはない。自分も大勢の中の一員に過ぎない……、自己弁護をするように彼らはろくに旨みもない安酒をあおる。
 何者にも裏切られ、頼りも失った者の末路というのはこんなものなのかもしれない、と彼は周囲を一瞥しながら思った。

 夜も更けてきたが、いっこうに店内の喧噪はとどまることを知らなかった。その割にオーダーの声はかからず、店主は手持ち無沙汰にグラスを拭いていた。

「なぁ、兄ちゃんよ、ひとつ頼まれごとがあるんだが、代わりにやってくれるか?」

 グラスを拭く手を止めず、店主がそう話を切り出す。

「なに、難しいことじゃない。この町の南にある山の頂上付近まで行って薬草を採ってくるだけさ。医者のじいさんの頼みだよ」
「医者だと?」

 こんな酒屋にまで医者が繰り出す理由があるのだろうか。医者など成功者の一例のようなイメージがつきまとうものなのだが、彼は怪訝な表情を浮かべた。

「医者ってもあんたが想像しているのとは全然違うな、もっと狭くて薄暗い……ほとんどアル中かなんかで訪れるやつらのが多いくらいだ。じいさんも昔はここで飲んだくれてたのさ」

 いつ舞台から転げ落ちるともしれぬ壇上だということだろうか。成功した者の傍らには、常にねたみが寄り添うものらしい。つくづく、人間とは恨み深い。

(薬草、な……)

 店主の依頼内容にどこか引っかかりを感じる。だが食い扶持が稼げることは放浪の身である彼にとっては魅力的な話であった。

「報酬は」
「前金で一〇〇〇グラン、報酬として三〇〇〇グランだ」
「……いやに羽振りがいいな」
「腐っても鯛だからな、あのささくれのような身体のどこに貯め込んでいるんだか」

 そう言うと、店主は口の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべた。まるで舌なめずりをする肉食動物のような笑みだった。
 彼はしばらく考えたあと、「受けよう」と答えた。その答えを聞いた店主は、空気が破裂するような笑い声を上げた。

「そうこなくっちゃな! あのじいさんは嫌いじゃないんだが、どうも昔話を始めると長くてかなわん。歳は取りたくねぇな、はっはっは!」

 彼は腕を組み、仰け反るようにして吹き出す店主の様子をじっと眺めていた。

「じゃあ、明日の朝もう一度ここに来てくれ。地図と金を渡す。前金だけ受け取ってトンズラするやつもいるもんでね。あんたを疑うわけじゃないが、そういう輩もいるってこった、協力してもらうぜ。……そうだな、山道も歩きにくいだろうから、その大剣を預かってやるよ。戻ってきたら金と一緒に返してやるよ」

 店主は顎の髭をしゃくりながら、彼の傍らに置いた袋包みに目線を遣る。その要請を彼は低い声ではね除けた。

「前金はいらん。後ですべて額に乗せてくれ。預かりも結構だ」

 感情の一切籠もらない声を聞いて機嫌を損ねたように感じたのか、店主は慌てて彼の意見を呑んだ。

「あぁ、それなら大丈夫だ。こっちとしてもその方が助かるからな。それじゃ、兄ちゃんも早いから帰んな。こっちも準備しておくからよ」
「……ああ」

 彼は残った酒を煽るように飲み干し、空になったグラスをカウンターの上に置いた。そして立て掛けていた袋包みを担ぐように持ち上げて立ち上がった。

「酒代は報酬から引いておいてくれ」

 背後も振り向かずにそう言い残し、喧噪のなかをすり抜けるようにして店から出て行った。

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